日本初のバス開業から廃業まで ~1903年9月20日、堀川中立売~祇園で開業
9月20日は「バスの日」。1903年9月20日、二井商会が堀川中立売~七条~祗園で日本初のバス事業を開始したことを記念して定められました。日本初の電車が京都なら日本初のバスも京都なんです 若き2人の青年の果敢なる挑戦と挫折の顛末を、1937年発行の「日本乗合自動車協会十年史」を元に調べました
Update Date : 2018-09-20 10:14:19
Author : ✎ MKタクシー


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社団法人日本乗合自動車協会十年史
  • 発行 1937年12月30日
  • 編纂者 小川兼四郎 1927年4月18日に設立された社団法人日本乗合自動車協会の10周年記念事業として編纂された書籍です
  • 社団法人日本乗合自動車協会十年史 - 国立国会図書館デジタルコレクション
    内国博で全国初の乗合自動車運行


    1903年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会では、アンドリュース商会より8台の自動車が出品され、1903年4月には梅田と会場の天王寺公園を結ぶ乗合自動車が運行されたとの記録が残ります。本来であれば、これが日本初のバスの運行というべきでしょうが、資料があまり残っておらず、詳細は不明です
    名古屋での動き
    名古屋の平野新八郎氏が、アンドリュース商会の蒸気自動車を用いて、乗合自動車を経営するため、愛知県へ届出を行い、実際に試運転を行いましたが、結局、自動車が高価で採算があわないため、営業を断念しました 愛知県もこの動きにあわせて1903年8月20日に全国初の交通安全取締規則である「乗合自動車営業取締規則」を交付しました。現在はバスなどの運輸行政は道路運送法という法律に基づき、国(国土交通省)の管轄ですが、当時は都道府県の管轄でした
    京都でもバス事業への機運高まる
    名古屋での動きを受け全国各地でバス事業の出願が行われました 1895年には日本で初めての電車が開通するなど、特に交通分野で進取の気性に富む京都では、バス事業の将来性を見込み、複数の動きがありました 中でも西陣で織物商を営む福井九兵衛氏と友人の坪井清兵衛(壺井菊治郎)氏は、当時京都の富豪として知られた大沢善助氏を介してアンドリュース商会より蒸気自動車二両を購入することにするなど、いち早く動き出しました。1876年生まれの福井氏は、弱冠27歳という青年でした。記録からは不明ですが、おそらく坪井氏も同年代だったのではないでしょうか。なお坪井氏は、「十年史」では地の文では「坪井」「壺井」の両方の記載があり、引用文では「坪井清兵衛」「壺井菊治郎」の2種類の記載があり、どちらが正しい名前なのか不明です。本記事では、いちおう坪井としておきます
    二井商会がバス事業開始へ
    車両購入の準備も順調に進んだので、福井氏は1903年8月28日に府庁の警察部保安課長と面談したところ、保安課当局の意向も以下の通り確認できたため、車両が到着次第、営業を開始することにしました
  • 取締規則を発布するまでは許可できない。ただし近く規則発布予定
  • 実行者に許可とし、営業権のみを得る目的のものには許可しない
  • 今、仮に無認可で営業する者があっても、規則がないため営業停止を命令することはできない
  • 最初に出願営業するものには、相応の便宜を与える
  • 規則がないため願書の書式はなく、正式に受理できないため預かることしかできない 8月29日、1両2,000円で自動車売買契約が成立し、2週間以内に車両を引き渡されることになりました。資金は福井氏と友人である坪井氏の共同出資とし、待合所は堀川中立売に設置することでだいたいの準備を完了しました 会社名は福井坪井両氏の共同経営のため京都乗合自動車二井商会(にいしょうかい)と命名、運転手にはアンドリュース商会より運転技術の教習を受けました 9月10日、納品された車両に、1号車、2号車と命名しました
  • 世間の注目を大いに集める
    非常に注目すべき陸上交通機関が出現したとして、営業出願以来の経緯を当時の新聞紙は一斉に書き立てました ――――――――――― 9月2日付け京都新聞 「自動車営業の出願」 坪井清兵衛、福井九兵衛両氏により昨日府庁へ自動車営業の願書が提出された。中央停車場を中立売大宮に置き北野に達するものと、七条停車場、二条停車場、祇園石段下に達するものとの四線とし、自動車2両は両3日中に到着し、来る15日より営業開始の準備を整え、営業認可を得れば、横浜在留の外人、宜次として来京し、運転手を養成するという ――――――――――― 9月9日付け大阪朝日、大阪毎日、京都日出新聞など 「自動車の練習」 西陣の坪井清兵衛、福井九兵衛両氏の出願する自動車がいよいよ一昨日到着したので、本日より運転手の練習を平安神宮前桜馬場で行う。営業は15、6日より開始予定で、社名は京都乗合自動車二井紹介と命名した ――――――――――― 車両は9月7日に到着し、2人乗りを6人乗りに改造しました。なお、現在の法律で通常バスに使用される車両は乗車定員11人以上の車両なので、現代なら乗合タクシーともいうべき車両になります 19日試運転式、20日開業とすること方針を定め、新聞社に広告及び招待状を発送し、開業への準備に万全を期しました しかし、試運転式を目前に控えた9月18日、運転手及び助手、職工等は、賃金値上げを叫んで突如ストライキを決行するに至りました。従業員の要求は、運転手1日70銭→1円50銭、その他40銭→1円20銭などでした 試運転は9月19日、岡崎公園桜馬場応天門前広場において挙行され、市内警察署長、新聞記者等を招待し、6人試乗し、桜馬場を運転しました。当日は自動車が珍しいものとして、見物人が雑踏を極めました ――――――――――― 9月21日付け京都新聞 「乗合自動車の試乗」 曲がり角などは自転車のようにうまくは曲がれず、梶の取り方の呼吸などはちょっと稽古をしなければ危険であると思う。揮発油とタイヤの破損などを見込んで1区4銭の賃銭で営業できるかどうかは商会の福井、坪井両氏も明確に計算が立っていないという話しだ。この計算がたてば誠に有望な営業である。なお、当分は雨天は休業すると ―――――――――――
    新聞に掲載された同社の広告本文
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    開業当日に営業停止の危機が
    このようにして準備は完了し、1903年9月20日に、以下の路線を開業しました 【室町線】
  • 路線   堀川中立売~七条停車場
  • 営業時間 7時~15時
  • 運賃 室町二条 4銭 室町五条 4銭 七条停車場 4銭 【川東線】
  • 路線   堀川中立売~祇園石段下
  • 営業時間 15時~24時
  • 運賃 堺町丸太町 4銭 寺町二条 4銭 祇園石段下 4銭 祇園石段下は、現在は四条通と東大路通の交差点で、八坂神社の石段の下です。東大路通は開通前でしたが、当時も今も祇園界隈の中心地です 七条停留所とは、今の京都駅のことです。当時は今よりやや北側に位置し、市民より「七条ステンショ」と呼ばれて親しまれていました 両路線の起終点である堀川中立売は、祇園石段下や七条とは異なり、京都人でも景色が目に浮かんでこないところですが、8年前の1895年に京都電気鉄道が路面電車の停留所を設置していました。1903年当時は、府庁前と堀川中立売を結ぶ中立売線、北野車庫と堀川中立売を結ぶ北野線、四条西洞院と堀川下立売を結ぶ堀川線が開業しており、堀川中立売はターミナル的な存在でした。なお、四条西洞院から七条駅前まで延伸され、鉄道とも結節されるのは、翌1904年のことです。1903年に堀川中立売に拠点が置かれたことも納得できます 何とか開業にこぎつけた当日、福井氏は突如警察部保安課より出頭を命ぜられ、保安課長より 「8/28に伝えた方針は個人的な考えであった。警察部としては、取締規則の未発布にもかかわらず営業を開始することは甚だ不穏であるので、近日中に発布されるまでは、事業を一字停止するように。もし強行するのであれば、許可なく事業をする者には科料に処すとの条文を発令する。だから穏やかに休業するのが得策である」 として中止せよと迫りました 福井氏がいろいろと懇願した結果、切符を発売せず、希望者を乗せて報酬として一定の額を収受し、試運転という名目で営業を行うとの条件で府庁側の承諾を得ました
  • 開業当日の光景とその使用車。幌が無いため雨天時は休業し、冬場はとても寒かったようです
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    初の電車も京都、初の乗合自動車もまた京都
    いきなりの営業停止のピンチをくり抜けた二井商会は、最初にデビューしただけに各方面より注目の的となりました ――――――――――― 東京万朝報 二井商会は乗合自動車の営業出願を行ったが、いまだに許可が下りないため、当分試運転の名目でさる21日より開業したが、珍しいために乗客も甚だ多く、自動車は2両で中立売堀川より七条停車場前を室町線といい、同じく堀川より祇園石段下までを川東線といい、いずれも乗車賃4銭である。わが国では電気鉄道を使用するのは京都であり、今また乗合自動車にも先鞭をつけたのである ――――――――――― 収入は、1日1台7円~12円くらい、諸経費車両償却費を除き1日3円~4円くらいと。速度は乗客が振り落されないよう時速10キロ余りと、人間が走るスピードより遅いくらいでした 運転手の操縦技術が未熟なため、10月14日までに3回の大事故を惹起し、その都度警察より無許可営業と責められました 京都で乗合自動車事業開始されたとの報は全国に伝わり、丹波、丹後、若狭、大阪、兵庫、越中、加賀、紀伊、岡山、広島、宮崎、熊本、沖縄の各方面より多くの者が視察に訪れ、大阪、兵庫ほか10府県の警察関係者も実地調査に訪れるなど、京都の二井商会は一躍時代の寵児になりました 経営が順調に進捗するのをみた人力車業者は、自分たちの生活を脅かすのは乗合自動車であるとして、乱暴にも七条停車場などを数回にわたって襲撃したり、悪口を流布するだけでなく、経営者に危害を加えようとの気配さえ見えたので、福井氏等は自宅へ絶えず護身用の短銃を用意したなどという過渡期にありがちな苦難をまざまざと味わったといいます
    ようやく自動車取締規則が発令
    無許可状態を脱したい二井商会の働きかけもあり、10月28日、愛知県に次いで京都府令第39号をもって待望の自動車取締規則が発布されました この規則に則り、二井商会は全国で初めてバス事業の正式出願が行いました
    急遽取締規則を作って発令した京都府公報と二井商会への許可証
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    バス路線図
  • 営業しようとする道路及びその区域 第1線 停車場―中立売通―中立売新町―新町通―松原通―室町通―東本願寺―烏丸通―官設鉄道七条駅 第2線 停車場―中立売通―中立売新町―三条通―寺町 第3線 停車場―中立売通―烏丸通―今出川通―出町―出町橋―三宅八幡宮前
  • 停車場の位置 京都市上京区中立売通堀川西入ル役人町263番地
  • 使用すべき車両数 第1線 3両 第2線 3両 第3線 2両
  • 乗車賃銭額 第2線 堀川中立売―新町二条間 金5線 新町二条―室町三条間  金5銭 室町三条―寺町三条間  金5銭 第1銭と第3線は出願以前に許可
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    念願の正式許可が下りる
    願書を見ると、当時はバス停一か所に5分も停車する計画になっています。今であれば5分もとまっていると故障車と勘違いされかねませんが、いかにノンビリしていたかを想像できます 営業出願を出すと同時に、試運転の仮名義をもって開業していた営業は一時休止し、正式の許可を待ちましたが、容易に許可とはならりませんでした。続出する共願者とも調整などに、当局も相当頭を悩ませ、次のような方針で審査されました
  • 一方に許可する道路は他方に許可せず
  • 三間以上の道路といえども雑踏の地御苑内は許可せず
  • 許可は最初の出願順による そして、1903年11月21日、ついに日本初の自動車営業の許可が下りました。許可までには書類を訂正すること前後12回、道路図面の引き直し8回、道路図は全部実地踏査するなど、実に二十数日を費やしました。待ちきれず知事官舎に押しかけて大激論を交わしたこともあったそうです
  • 当時使用した乗車券
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    相次ぐ事故や故障でわずか数ヶ月で廃業
    正式の許可を得て11月22日より営業を開始するに先立ち、2日間楽隊を出して宣伝し、乗客に対しては景品を出すことに決定した。その結果、多数の乗客が乗車し、好成績を上げました。しかし乗客の多数乗車することは、タイヤなど損傷が増えるという結果となってあらわれ、特にタイヤ修繕の専門工場がなく、一時しのぎの修繕で急場をしのいでいました 試運転後の休止期間が長期にわたったことと、車両購入未払金の支払いと、自動車に対する認識が一般に欠けていたため、二井商会の経営状態も冬場に入ると同時にしだいに悪化しました。さらに3号車が火を発するなどの大事故も起こり、ガソリンが2缶2円50銭→4円20銭に高騰し、すべての状況が極めて不利に推移しました。福井、坪井の両氏は第一自動車株式会社として株式組織に改組することに決定しましたが、早くも1904年1月には廃業の憂き目を見るに至りました 時代を先取りしすぎたため、車両整備や道路状況などの社会的条件が追いつかず、わずかな期間でバス事業は失敗に終わりました。しかし、大資本のバックアップがあったわけでもなく、二十代の若さで新規事業に果敢に挑戦した福井氏と坪井氏には拍手を送りたいです。このあとの2人のことは不明ですが、少なくとも34年後の「十年史」編纂時点において福井氏は存命であり、様々な資料を提供した旨が記載されています
    二井商会の開業宣伝ポスター
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