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「本能寺の変」でなぜ光秀は信長を裏切ったのか 『徳川家康 弱者の戦略』より
テレビの大河ドラマ「どうする家康」は視聴していないが、磯田道史氏のタイムリーな図書出版にはいつもながら敬服する。新聞報道によれば上京区の佐々木酒造の敷地に家康の洛中邸宅跡を示す石碑が登場したとある。さて本題は図書の読後感ではなく新たな情報としての「本能寺の変」について興味をそそられたからだ。
Updated Date : 2023-06-30 20:24:15
Author ✎ 京都再発見
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「本能寺の変」については色々と黒幕説などが唱えられてきたが、信長と光秀の関係が離れてゆく原因として近年有力なのは四国説といえる。そこに新たに浮上したのが、この武田家による光秀への工作と思える史料すなわち細川家の「綿考輯録」(めんこうしゅうろく)である。
第4章 本能寺の変と武田の毒から
光秀謀反の後,わずかな生き残りの一人、光秀の筆頭家老だった斎藤利三の子の三存(みつなか)が細川家に縁を頼ってきた。細川家の「綿考輯録」に三存の証言が記されているという。つまり武田家の滅亡で有力武将の穴山梅雪が信長、家康の軍門に降った際に、光秀は武田との内通を穴山に知られており、それが信長に伝わる前に先手を打ったということを示唆しているという。この本の内容は最近テレビでも取り上げられたが、後世になって新たな史料の発見によって謎の糸口が解き明かされてゆくことは興味深い。
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佐々木酒造
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