もうひとつのMKタクシー創業物語 ~桂タクシーの設立から移転まで
MKタクシーの由来は、ミナミタクシーの"M"と桂タクシー"K"です。創立記念日である10月26日は、ミナミタクシーの設立日です。翌年1月12日に設立された桂タクシーは、当初別資本で2年後に買収したため傍系扱いされています。桂タクシーが創業の地である桂を離れるまでの8年間の歩みについてまとめてみました
Update Date : 2018-10-26 09:34:43
Author : ✎ MKタクシー


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免許状
桂タクシーは、ミナミタクシーと同じく昭和三六年(1961年)免許の「三六業者」です。左京区花背の材木商の上手氏が発起人代表として1961年5月25日に申請し、12月12日に免許を受けました。ミナミタクシーより2ヶ月遅れです。会社の設立は1962年1月12日です。つまり、MKタクシーのもうひとつの設立記念日は、1月12日です 上手氏は、花背村が1949年に京都市に編入されるまで村会議員をつとめ、花背農業協同組合、花瀬森林組合、上桂川漁業協同組合の各現職理事をつとめる、地元の名士でした。1933年から1942年に戦時統制を受けるまでは貨物自動車運送事業を経営した経験もありました 発起人7人のうち4名は花背大布施町在住者で、別に京聯タクシーで幹部経験者なども発起人に名を連ねました 主たる申請理由として、「天下の観光地嵐山、桂離宮、苔寺、京都唯一の綜合グランド西京極に近接し、また亀岡街道、向日町に向ふ交通の要点を占め、加ふるに近時住宅街が飛躍的に増加発展、更に将来の工場地帯として洛西の重要一地点として一大発展が予想される」と書かれています それまで農村地帯に過ぎなかった桂近辺が、都市へと変貌しようとしている時代でした
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花背大布施町
35.20799632975687
135.77586468598633
0
0
0
13
35.20799632975687,135.77586468598633,0,0,0


営業所
桂タクシーの本社は、山陰街道に面した阪急桂駅近く(川島有栖川町)にありました 新築ながら、のちの買収後の時点ではすでに木の床が腐っているような事務所で、横を流れる川がしばしば溢れ、大雨の翌日などガレージに泥が堆積するありさまでした。この川は、渡月橋付近の二ノ井で桂川から取水し、桂川西岸一帯を潤す用水路のひとつで、このあたりでは複雑に入り組んでいます
山陰街道から北にある車庫を見たところ。この長細い敷地の奥に営業所の建物がありました。西側は今は住宅街ですが、この当時はまだ田園が広がっていました
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桂タクシー本社
34.976837432990386
135.69967715968664
0
0
0
18
34.976837432990386,135.69967715968664,0,0,0
見取図
山陰街道は、今でこそ細い道路ですが、当時はまだ桂バイパス(現国道9号線)や新山陰街道が開通しておらず、京都と丹波を結ぶ幹線道路であり、国道9号線に指定されていました。つまり洛西エリアの大動脈沿いに作られた営業所でした なお、右京区西京極郡町~西京区大枝沓掛町の桂バイパスが全線供用されたのは1964年10月で、買収から1年後です。買収当時は部分開通状態でした
免許申請書より。赤い部分が営業所及び車庫です 北東の整然とした街並みは、桂駅西口区画整理事業によるものです。戦前から事業が行われ、1948年には整然とした町並が完成しました
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ガレージ新設設計図
当時の住所は、"右京区"川島有栖川町でした。西京区が分区されたのは1976年10月のことです
右が北です。西側は水路で囲まれ、南側(左端)の山陰街道に面した部分が出入口でした
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日吉ダム
申請理由のひとつとして、上桂川に高さ45mの防災ダムが建設され、大布施町は全戸水没するとの計画が新聞報道されており、このままでは生業を失った上に路頭に迷うことになるため、「必死の転業策として」申請したとの記載があります。しかし、その後防災ダムが建設されることはありませんでした 免許を得るための一種の方便かと思って調べたところ、実際にダム計画はあり、京都市会でも1961年「花脊の鎌倉ダム建設計画に反対する請願」、1969年「鎌倉ダム建設反対の請願」との記録があり、実際にあり得る話しであったことがわかりました 参考サイト:http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000100638 結局ダムは、花背ではなく日吉に作られることになり、計画は消滅しました。大雨の度に大活躍が伝えられる日吉ダムですが、もしかしたら「花背ダム」になっていたのかもしれません。上流部で集水域の狭い花背にダムを作ったところで、効果は知れているでしょうから、当然といえば当然なのでしょうが 考えてみると、高度経済成長期に入り、急速に木材需要が伸びて林業が最盛期をむかえようとする時期に、あえて転業しようという理由は少ないでしょう
幻に終わった花背のダムの代わりに建設されました
File:1407-r1.jpg - Wikimedia Commons
実際の運輸開始は1961年3月10日。ミナミタクシーから遅れること4ヶ月でしたが、10台のミナミタクシーに対して15台の規模でした 当時、3/24~6/28にかけて、ヤサカ自動車、都タクシー、京聯自動車、洛陽交運、八光タクシー、京阪タクシー(現:京都第一交通)、京都近鉄タクシー(現:ケイテイ)、銀鈴タクシーが97日間にわたるストを行っており、京都のタクシーは半分以上が姿を消していました。そのさなかでの開業でした ただし、運転者の採用には苦労し、開業当初は24名しか確保できず、開業から2ヶ月後にようやく34人の運転者を確保することができました この34名のドライバーの前職を見てみると
  • 17人 都タクシー
  • 2人 昭和交通(現:西都交通)
  • 1人 洛陽交運
  • 1人 ダイヤ交通
  • 1人 和光タクシー
  • 12人 その他 都タクシーが多いのは、地盤が乙訓なので地理的に近接しているためでしょう。管理職が転職してきた京聯タクシーからは0人なのも不思議です 年齢は30歳前後の者が多く、今とは異なりタクシーとは若者の仕事でした。勤務体系は、2交代制の日勤勤務でした
  • 青木定雄による買収
    現在の状況
    しかし、当時はタクシー業界のみならずあらゆる業界で労使紛争が頻発し、ミナミタクシーでも数々の紛争が起こっており、桂タクシーも例外ではなかったでしょう。開業した1962年の12月23日には、代表取締役が上手氏から、取締役であった柿谷氏へと交代しました。花背運輸株式会社の社長でもあった柿谷氏も労働攻勢の強いさや、やんちゃなドライバーの教育にも手を焼き、経営も順調ではなかったようで、開業からわずか2年で会社を手放すことになります あるいは花背のダム問題が落ち着きそうになったことも背景にあったのかもしれません。なお、設立時の取締役には花背大布施町在住者が4名いましたが、うち3名については、少なくとも2000年の段階では電話帳上は健在であったことが確認できます
    山陰街道から北方向。今も車庫として使われています。当時は歩道になっている部分に水路がありましたが、今は暗渠化されているようです
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    ミナミタクシー創業者である青木定雄が桂を買収したのは1963年7月3日でした。これによって、ミナミタクシー31台と桂タクシー15台のグループ計46台となりました 買収当初、運転者の約半数が無届欠勤を行うなど、詳細は不明ですが前経営陣末期はいろいろ混乱もあったようです。しかしこの経営陣交代後、桂タクシーは順調に経営を拡大し、1年後にはドライバーも55人まで増えています
    当初は山陰街道側の出入り口のみでしたが、のちに水路上に通路を架橋し、西側からも出入りできるようになりました。ちょうど今のガレージの出入口と同じ位置のようです
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    買収後、桂近辺の人口増加による需要増加などを背景に、増車を重ねてわずか6年で3倍の規模にまで増加しました
  • 1963年11月16日   15台→22台 7台増車
  • 1964年9月8日    22台→30台 8台増車
  • 1966年12月3日   30台→33台 3台増車
  • 1968年3月16日   33台→39台 6台増車
  • 1969年9月12日   39台→43台 4台増車
  • 敷地の北端(左側)に、2階建ての営業所が建っていました
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    MK石油銀閣寺SS
    本社併設の車庫だけでは収まりきらないため1964年9月8日には第二車庫の認可を受けました。この第二車庫の場所というのが、今のMK石油銀閣寺SSです。今は営業所から2kmの範囲でしか車庫は認められませんが、当時はこんな遠隔地でも認められたようです 運行管理者も車庫に配置し、納金機や仮眠室も設置していたので、事実上別の営業所でした
    永井石油(現:MK石油)銀閣寺SSの地鎮祭。SSは1965年12月の開業です
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    本社営業所第二車庫
    35.0248392205386
    135.79218104481697
    0
    0
    0
    17
    35.0248392205386,135.79218104481697,0,0,0
    伏見の新本社
    買収から6年後の1969年9月21日から、新しい賃金体系である「MKシステム」が導入されました。これがミナミのMと桂のKを取った「MK」という名称の魁です。この新賃金システム導入以降、MKタクシーはサービス向上に力を入れていくことになります 1969年12月ごろ、桂タクシーは桂から竹田出橋の名神高速道路高架下に移転しました。桂タクシーの売却が決まりかけていたとの話しもありますが、1968年6月から桂タクシーの社長に抜擢されていた吉山一英が強硬に反対したため、敷地のみを売却したとも言われます これにより創業の地である桂を離れた桂タクシーは、5ヶ月後に上鳥羽から移転してきたミナミタクシーと同居し、事実上一体となって経営されることになります。この先はミナミタクシー史と重複することになるため、これをもって桂タクシー創業時代を終わります なお、正式に両社が合併し、エムケイ株式会社となったのは、1977年3月のことです
    1971年元旦のミナミタクシー・桂タクシーの本社。この年から、ドライバーへの接待として始まりました 今は建物は解体されていますが、引き続き伏見営業所の車庫として使用しています。エムケイ株式会社の登記上の本社の位置は今もここです
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    新本社
    34.95654765838085
    135.75991528231634
    0
    0
    0
    16
    34.95654765838085,135.75991528231634,0,0,0
    ご予約・お問い合わせ
    観光タクシー・ハイヤー
    ご予約・お問合せは☎075-757-6212、またはMKタクシーHPMKタクシー's Matomeに関するお問い合わせは、b.kikaku@mk-group.co.jpまで
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    お客様に日本の素晴らしさを発信するお仕事です! MKタクシーは日本有数の観光名所である京都に位置していますので、送迎のお仕事だけではなく、日本国内各地や海外からいらっしゃるお客様に京都や 日本の素晴らしいところを発信する大切でやりがいあふれるお仕事です

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