涼やかな甘い香りがあたりに満ちていた。空気を紅色に染めて咲き誇るしだれ梅を前にして、国原はそっと感嘆の溜息をもらす。
ここは京都の南にある神社、城南宮の神苑だ。ここに梅を見に来るのも、今年で十回目になる。が、何度目であっても、その美しさに心を動かされない年はなかった。長い冬を耐え忍んだあとに最初に出会う春だからだろうか。それとも、自分は年々老いていくのに、梅のほうはいつまでも若々しく、その差が開いていく一方だからだろうか。
国原は、首を振り向け、かたわらの妻を見た。今日還暦を迎えたその横顔は、年を取るところか、逆に若返ったんじゃないかと思うほど明るく輝いていた。花に酔っているかのようにふんわりと微笑み、楽しげに、この梅の園全体に意識をただよわせている。
お互い訳有りで、四十を数えてからの遅い結婚だった。子供はいないうえに、画家と作家という、自由だけは売る程ある組み合わせだ。海外に長期間旅行することも、気ままに住みかを変えることもできる。実際彼らは、結婚した最初の十年をそんなふうにして過ごした。しかし、十年目の終わりに京都に居を構えてからは、一度も引っ越しをしていない。
落ち着いてしまったのだ。年のせいかもしれないし、京都という土地のせいかもしれなかった。京都はゆるく時間が溜まっていく土地だ。東京のように目まぐるしく流れていかず、そっと渦を巻く。渦の底には千年前の都がちらりと見える。千年分の月日を踏みしめながら未来へ進めば、自然と足はゆったりと動く。そんなペースがふたりにはちょうどよかった。
京都に移り住んでから、たまたま最初に寄った神社が城南宮であった。そして、たまたま梅が咲き誇っていた。その美しさに圧倒されて以来、ふたりは毎年欠かさず、ここに来ている。
「誕生日、おめでとう」
と、国原がつぶやくように言ったのは、神苑の中にある茶室で、巫女がたててくれた抹茶を飲み終わり、庭を眺めているときだった。
「今年も一緒に見れましたね」
と、妻は応じた。
三月十六日の妻の誕生日に来れば、城南宮のしだれ梅がいい具合に咲いている。おかげで、梅の咲く時期をうっかり見逃したことはない。
「今年も見れた、だなんて、遠慮深いこと言いやがって。来年も再来年も、いや、少なくともあと四十年は来続けるつもりのくせに」
今年の誕生日プレゼントに何を買ったかを思い出して、国原は笑った。
「ええ、もちろん、そのつもりですよ」
と、妻も笑った。
誕生日を迎える一ヶ月前、妻が、めずらしく自分から、欲しいものがあると言いだした。
「何でも言ってみなさい」
国原は、ペットか何かだろうと見当をつけ、余裕の笑みを浮かべた。ついこの間、子犬を飼いたいけど、わたしたちが先に逝っちゃったらかわいそうね、なんて妻が話していたからだ。最近では猫でも長生きするやつは二十年も生きるらしい。ウサギとかハムスターとか小鳥とか、そんな動物なら、ちょうどいいだろうか、などと考えていると、
「お雛さまが欲しいの」
と、妻は言った。
「お雛さまだって?」
国原は驚いて、大きな声を出した。
「そんなもの、誰にやるつもりだ?」
国原夫妻には子供がいない。当然、孫もいない。親戚の顔をひととおり思い出しても、小さな女児がいるような家庭は思いつかない。
「誰かいたかな」
眉根を寄せて考えこんでいる国原を見て、妻はおかしそうに笑うと、
「何言ってるんですか。わたしの誕生日なんですから、わたしがいただきます」
と、言った。
夫の自分が理解できないのだから、デパートの店員が分かるわけがなかった。
お孫さん用ですか、と尋ねた若い店員は、いいえ、自分用ですときっぱり答えた妻の顔をぽかんと見て、へ? と間抜けな声を出した。
しかし、そこはさすがに接客のプロだ。素早く笑顔を作り、体制を立て直した。
「ご自分用ですね。雛人形は、芸術品としても価値が高いですからね。コレクションなさる方もいらっしゃるくらい。当店のお雛様は名匠たちによってつくられている本物ばかりですから、どうぞごゆっくりとご覧なさってください」
などと、話している間に、もう妻はさっさと去ってしまっている。国原は店員が気の毒になって、最後まで話を聞いてから妻の後を追った。
国原にはさっぱり訳が分からなかった。妻は、ひととおりの芸術はたしなむが、何かをコレクションして喜ぶような性質ではない。子供や孫がいないことを嘆いたこともない。いなくてせいせいすると言ったことはあるが。
豪華絢爛な人形たちの間を縫って、妻の背中を追っているうちに、国原はどこか異次元に迷い込んだようなめまいがした。一瞬妻の姿が見えなくなる。慌てて足を速めた。妻は催事場の片隅で足を止めて彼を待っていた。
「これです。このお雛様が欲しいのです」
それは男雛と女雛だけのシンプルなセットだった。
美しい着物をまとって仲良く並んでいるふたりは、若い男女ではなかった。髪は白くなり、顔にはしわがきざまれた、翁と媼だ。ふたりは似通ったあたたかいほほえみを浮かべ、共に過ごした年月を語り合っているように見えた。そのふたりを金色の屏風がそっと守り、温かな光が照らしだしていた。
それは、夫婦が共に仲良く長生きできますように、という願いをこめて江戸時代後期に作られ始めた雛人形なのだと、国原はあとで知った。〈了〉