「どっこいせ、どっこいせ」
と、声を合わせ進む。リズムを刻むことで足を揃え、力のタイミングを取る。リズムに合わせるならば、それはさながら歌であり、足のさばきが洗練されれば舞いとなる。
そうして木材を運ぶのである。こうして石材を運ぶのである。
「いや、見事なものですな」
平井太郎は感嘆の声をあげた。なまなかなことでこれほどのまとまりを作り出すことはできない。目的に添った動きでありながら、それとは次元の異なる美しさが現出している。
「それほどでもないがな」
眼前に広げた紙の上の武将は静かに応じた。
「いやいや、ご謙遜だ。見事なものです」
平井は賞賛を惜しまない。
彼らは城を作っているのだ。新しい城を築きあげようとして、その資材の運搬を行っているところである。
すべては平井の眼前に広げられた一枚の紙の上に生じている。いわば白日夢のごとき幻であった。ただし、平井の見る幻は、時としてよく真実を映し出す。
紙の上にいるのが、明智光秀であることはもう分かっていた。ならば、この幻はきっと、なんらかの歴史的事実に違いあるまい。若い平井は決めつけるように思うのだ。
光秀が築いた城なら、福知山城(ふくちやまじょう)だろうか。
そもそもは三方を断崖に囲まれた自然の要害、横山城があった。その城を攻め落とした光秀によって新たに建築された福知山城は、天守閣を持つ新たな時代のスタンダード、その先駆けともいうべき城である。その後も長く使われてきたのにはそのような理由がある。
「立派な城を築かれるのですね」
「それは、まず、その通り。これからの城は、ただ住まうばかりでは足りぬ。守るに易く攻めるに難く、しかも周囲に威光を示す必要がある。威厳のなき者に、民は従わぬもの」
「では、このような材料を使うのも……」
平井が言うのは、声を合わせて運ばれて行く資材の一部に見える、さまざまな形を持つ石材のことである。むろん、切り出した岩のごときも含まれているが、そればかりではない。明らかに石塔のようなものが含まれている。近在の寺の、墓石のようなものまで築城、石垣の材料にしようとしているのである。
「ああ、それはそうだ。確かに、石材の調達に都合が良いということもある。が、同時に、わが威光を示すことになる。ひとつには、どれほど大切なものであろうとも必要とあれば従わせるという意味。もうひとつには、寺社、あるいは先祖のたぐいといえど、恐れるところではないと示すことになる」
光秀は当然のように言い放った。
怜悧、という言葉が似合う男だ。ひとつひとつを充分に考えていると知れる。だからこそ、やがて光秀は主君に仇成(あだな)す者の道を選ぶことになる。自らの破滅を招くことになる。
平井はもちろん光秀の行く末を知っていた。
だが、そんな無粋(ぶすい)なことは言わない。
「しかし問題があるでしょう」
聞くなら、この見事な作業風景のことだ。
「問題とは?」
「いや、ですから、築城の作業に駆り出された民のことです。領主がどれほど威光を誇ろうとも、実際に作業するのは民衆でしょう」
「むろんそうだ」
「ならば、先祖の御霊(みたま)を軽(かろ)んじて、墓石や宝塔を壊すのも彼らでありましょう。たたりがあるのを恐れるのではありませんか?」
平井が聞きたいのはそこだった。どれほど城主が恐くても、先祖の霊なのだから、自分がたたられると思うのが当然だ。それでは、どうにもやる気が出なくなる。
話によれば、明智光秀は領地においては名君と評されたらしい。無理矢理民を働かせたりしては、そのような評判が立つはずがない。
「おお、そのことか」
紙の上の光秀は「したり」と頷く。
「それならば策を用いた」
「策、ですか?」
「知っておるか。この地には、大江山(おおえやま)がある。酒呑童子(しゅてんどうじ)で有名な鬼の棲処(すみか)さ」
「知っております」
「たたりは、鬼に預けた。なに、作業を二班の協力とし、互いを見知らぬ者が協力するようにしたのさ。声をかけさせ息を合わせるのは、それでも作業をうまく進める方策よ。その上で、たたりを受けるのは鬼だ、と言いくるめた。ところが自分たちは鬼じゃないのだからな。鬼がいると聞けば、見知らぬ相手が鬼なのだろう、ということになる」
「それは詐欺のような……」
と、そこまで言って平井は言葉を止めた。なるほど、要はいかに相手を納得させるのか。いかに言いくるめるかだ。ならば、自分のやっていることも似たようなものだろう。実際にはとうてい無理な話を、運び方ひとつで納得させるのである。白と黒とを、分からぬようにしてしまうのである。
なるほど、と光秀に告げようとした平井は、すでに紙の上にはなにもいないことに気づく。紙、すなわち書きかけの原稿用紙だ。話の途中、主人公の名前を書く段になって、悩みながらうたた寝をしてしまったらしい。
しかし、もうそれは決まっている。江戸川乱歩こと平井太郎は、こう記した。
『名前は明智小五郎という』
やがて平井にとっての城となる名である。
〈了〉