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斎藤 肇・作『ちりぬべき』~ガラシャ物語より
遠くに声が聞こえていた。  それともあれは風の音だったろうか。深い緑の間を抜けてゆく風が、そこここでささやき交わしている声だろうか。  少女はひとり立ち尽くしている。こんなことは久しくなかった。ただひとりで、木々が生む蔭のもとにいるなんて。本来なら、こんなふうに出歩いて良いはずはなかった。隠れて……
Update Date : 2017-02-18 21:41:15
Author : ✎ novel


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斎藤 肇・作『ちりぬべき』~ガラシャ物語
ちりぬべき
ガラシャ物語『ちりぬべき』 著:斎藤 肇 カバーイラスト:TaMa 『ガラシャ物語全集』は、京都フラワーツーリズムが提供する「まちおこし小説」の一環として出版されています。 kyoto.flowertourism.net/
 遠くに声が聞こえていた。  それともあれは風の音だったろうか。深い緑の間を抜けてゆく風が、そこここでささやき交わしている声だろうか。  少女はひとり立ち尽くしている。こんなことは久しくなかった。ただひとりで、木々が生む蔭のもとにいるなんて。本来なら、こんなふうに出歩いて良いはずはなかった。隠れていなければならなかった。  少女、いや、既に夫も子もある身であった。二十年に満たない人生ではあったが、すでに充分なだけ運命の変転を味わってきた。  彼女は、宝物という意味の名を持っていた。  後の世に、三日天下と呼ばれる武将の娘として生を受けた。もちろん、宝として育てられ、やがて宝と呼ばれるに相応しい美貌の持ち主に成長する。  父の友人の息子のもとに嫁いでおよそ二年、あの時までは、なに不自由なく生きてきたのである。あの時、すなわち父が三日天下と呼び習わされることになる、その事件が起こるまでは。 「隠れてくれ」  夫の申し出は意外なことだった。  義父と夫は、彼女の父親に協力することを拒んだ。父親は、天下を取るために動いたのだ。しかし義父は、それが成就しないであろうことを確信した。息子の嫁の父親であり、古き友人の申し出を拒絶する。  しかし夫は、嫁を帰すでもなく、殺すでもなかった。また、父の予想通りに義父の目論見が潰えた後にも、彼女を守ろうとした。人目に付かぬ土地に彼女を送り、かくまったのである。山深き、緑深きこの場所に。冬には雪に埋もれるこの味土野(みどの)の地に。  だから……。  ひとりきりでこんな緑の中にいるなんて、許されることではなかったのだ。  長く、見事な黒髪を風にさらしていた。  心地よい風だった。  息苦しいまでの生活から、ひととき解放されたかのように思う。父方の兵士に出会ってもならない。父を討ち取った勢力に出会ってもならない。自らの住まいが、何者かに知られているのかどうか、それさえ分からぬまま、ただおとなしく屋敷に隠れているばかりの暮らしであった。  不安は、むろんあった。  そもそも、いつ自分はこの場所に来たのだろうかと思う。なにか予想もつかぬ出来事に巻き込まれているのではないか。あるいは、夢でも見ているのだろうか。  しかし風の心地よさはまぎれもなく身体に満ちているのだ。夢のようなあやふやさは欠片(かけら)もなく、ただ爽やかさに包まれている。  ならば、悩んでみても仕方がない。今は、自分の置かれた境遇に添って行くのみ。夢であろうが、現(うつつ)であろうが、かまいはしない。  季節は春か、あるいは遅い夏か。いや、夏ならば蝉(せみ)の声が聞こえているだろう。  朝、だろう。まだ早いようだ。日の光は横から柔らかに届く。  自分の置かれた状況に、彼女はためらい、しかし、木陰から出て歩き出した。足袋裸足(たびはだし)であったが、苦にはしなかった。 「おお、藤か」  太い木にからみついた蔓と、可憐な薄紫の花を見つける。ならば季節はやはり春か。初夏へと向かう、もっとも気持ちよい季節だ。その花の見事さに、蔓(つる)のひと枝を手折った。屋敷に戻り、その機会があれば挿し木にできるかもしれない。  浮き立つ気持ちで、さらに足を進める。  広くなった場所に、墓所のようなものを見つけた。ふいに兆(きざ)した不安に、けれど歩みを止めることはかなわない。  風がゆく。  鳥の声が聞こえる。  いや、あれは彼女を呼ぶ声だ。  行ってはならぬと呼ぶ声だ。声に聞き覚えがある、おそらくは侍女の……。  それでも足は止めない。  止めることができなかった。  石を積んで造られた、ただし墓とは趣の異なる、記念碑のごとき設(しつら)えに、不安と同時に沸きたつのは憧憬のような感情。見たこともない石碑に、なぜか深い懐かしみをおぼえる。  急げ。急がねばならないと、自然に足が速まり、ついに彼女は見た。  一年や二年とは思えぬほどの歴史を感じさせる、その石の表面には、文字が刻み込まれていたのだ。  思わず知らず、笑みがこぼれる。まるでなにかの冗談ではないか。 『細川忠興夫人隠棲地』  だが、あたりに屋敷の姿などない。  あるのはただ、深い緑。風。鳥の声。  しばしその場に佇(たたず)み、空を仰ぐ。  目に入ったのはいつも寝起きしている部屋の天井ばかり。  薄闇の中、手には藤のひと枝。 〈了〉

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物語の舞台
味土野 細川ガラシャ夫人隠棲地の碑
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物語の舞台:味土野 細川ガラシャ夫人隠棲地の碑
細川ガラシャ夫人隠棲地跡
戦国時代、本能寺の変で織田信長に反旗をひるがえした家臣、明智光秀の娘玉(ガラシャ夫人)は、細川忠興に嫁いでいたが、3年の間、味土野の地に隠棲した。石碑の前には、参拝におとずれた女性たちから、悲運の人生を歩んだガラシャ夫人への供物が今も絶えない。近くには、幅5m、高さ15mの味土野大滝もあります。
「斎藤 肇」さんの作品
斎藤肇 - Wikipedia
第五回星新一ショートショートコンテスト優秀賞受賞。 その後本格ミステリ、ホラー、ファンタジーなど多様な著作を発表。 史実に基づく小説作品は、今回が初挑戦。

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