俺はおそらく永く生きることはないだろう。戦で矢を射られ刃で切り裂かれるか――あるいは怒りで全身の血が沸き立ち憤死するかだ。
戦国の世に生をうけた故ではなく、ただ俺という人間は永く生き穏やかに死を迎えることはできない気がするのだ。俺の怒りは全身の毛が逆立つほどに激しく、俺の嘆きは身体中の水が流れ尽きるほどに深く、俺の渇望は相手を焼き尽くすほどに熱い。俺は世の者達とは血の熱が違うのだ。俺が激すると「殿様は狂うている」と噂されているのも知っているが、無理もないことだ。俺は怒りも悲しみも深く激しい。それは俺自身ではどうにもならぬのだ。父ですら時折俺を脅えた目で眺めていることがある。こんな人間が永く生きていけるわけがない。俺は俺のこの激しさにいつか殺されてしまうだろう。
最初にそう思うたのは、玉を初めて見た時だった。明智光秀公の娘、玉。美しいとは聞いてはいたが、これほどのものかと全身に震えが走り足元から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。この女はこの世のものではないと脅えながらも、俺の妻になるのだと思うとこみ上げる歓喜と欲情に陶酔した。これから毎晩この女を抱けるのだ、俺のものに――俺だけのものになるのだ。大声で叫びたくなった。この世の全てを手に入れた気分だった。
大山崎(おおやまざき)の山並みを眺める勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)。玉を迎えたこの城は都の西にあり、人の行き来も多い賑やかなところだ。昔は長岡京という都が造られかけたほど利便もいい。この城で玉を迎え盛大な輿入れが行われた。人々は美女の噂に名高い玉を讃え我がことのように喜んだ。一目花嫁を観ることが出来ないかと人が溢れた。俺は誰にも玉を見せてはならぬと厳重に警戒した。家臣ですら、見てはならぬと。どんな男でも玉を一目見るだけで、俺のように狂おしく全身が己の意思に逆らってでも欲するだろう。それを想像すると俺は世の男達の身体に火をつけ燃やし尽くしたい衝動にかられる。見てはならぬ! 想うではならぬ! 玉のことを――あの女は、俺だけのものなのだから。
俺は時折、玉を憎んだ。玉と出会ったせいで俺は憎むものや恐れるものが増え、生きるのがつらくなった。つらさのあまり、あの細く白い首を俺の手にかけようかという衝動にかられる――俺の身体の下でさっきまで甘えの混じった声で啼いていた唇が叫び声をあげ、震えてそのまま動かなくなってしまえば――それでも俺は玉を犯し続けるやもしれぬ。例え玉の身体が血を失い腐れ爛れても俺は玉から離れられぬ。
勝竜寺城で玉を迎えてから三年の月日が過ぎ宮津(みやづ)に移ったが、想いは時が経てば薄まるどころか募るばかりだ。俺は、狂うてしまいそうだ。いっそ狂うてしもうた方がいい。苦しい苦しい苦しい、玉を想うて苦しい。玉を見た男達を何人殺めただろう。自分ではわからぬのだ。気がつけば玉をちらと見た者達が目の前で血まみれになっている。俺の刀は血を浴び震えている。脅える女房達――けれど玉は――恐れることなくじっと俺を見据えている。なんて女なのだろう、俺が怖くないのか、俺を恐れぬのか――だからこそ俺は玉が怖ろしい。俺を恐れぬ脅えぬこの女が怖ろしくて、恋しい。
しかしこの戦国の世、いつまでもこうして玉と離れることなく過ごせるとはさすがの俺も思っておらぬ。もし、玉が俺と離れている時にその命が奪われるようなことがあらば屋敷に火薬をしかけ身体ごと爆破し燃やしつくしてしまえと俺は玉にも家臣にも常から言い聞かせている。例え屍となっても玉を他の男の目に晒してはならぬ、と。
六月二日――今宵の月は美しい。今頃、玉の父・光秀公は羽柴秀吉が攻めている備中(びっちゅう)高松城を目指し援軍に発たれたはずだ。本能寺にいる信長公も後日追うと聞いている。戦がはじまる、多くの人の血が流れる。しかしこの俺の傍で寝息を立てている玉の無邪気な顔を眺めていると、世の動乱など全て嘘のようだ。俺は幸福だ、妻をこの手に抱けて――時の流れをこのまま刃で断ち切ることができたならば――。
今宵の月は少し赤い。血の色の月だ。赤い月が玉の顔に影を作る。いっそ今、この手で玉を殺してしまおうか。俺ではない者が、お前の命を奪うなど許せるわけがない。あるいはお前が俺を殺してくれ。さすれば肉体を捨てた俺の魂は一生お前から離れず寄り添うことができる。来世も、またその来世も、離れぬ。俺は魂を失っても肉体が朽ちてもお前を乞い続ける。他の者には触れさせぬと俺のものだと、お前の飛び散った肉を掻き抱き血を啜ることをやめないだろう。己を傷つけるが如く、お前を想うて啼(な)くだろう。
〈了〉