女の叢(くさむら)に隠された秘苑にも似ている。
朱に塗れた肉の破片が、細かな白い骨と共に飛び散る。夫を恋しいと蜜をこぼし泣いて、夜な夜なむずがるところに似ている肉が。
この数日間、何度もそんな飛び散る肉の夢を見ていた。人の身体が砕けるおぞましく穢(けが)れた光景のはずなのに、不思議と心地よくそれを眺めていた。この山深い土地を出られるという知らせを聞いたその日から、繰り返し見る夢。
味土野(みどの)、と呼ばれている四方を山に囲まれたこの場所に来てからもう二年が過ぎようとしている。前にいた宮津(みやづ)は海の傍だった。輿入れした勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)は都に近く人の行き来も多かった。けれど、ここには何もない。ただ静寂さと澄んだ空気だけ。そしてここには、夫がいない。夫婦になったその日から狂ったように私を讃え求めていた夫が。何故そこまでと疑う隙もないほどに片時も離したくないと縋るような目で私を見ていた夫が。
全ては父の謀反から始まった別離だった。主君を屠(ほふ)ったと聞いた時から今に至るまで父を恨んだことはない。私にとって父は決して間違わない男だ。家族には優しく誠実で、主君に対しても真摯に仕えていた父。その父の決意ならば、私自身も受け入れるものだと、死を命じられる覚悟は出来ていた。
けれど私は殺されることなく、夫と離されこの地に連れてこられた。侍女達は「殿様は、奥方様のことを慈しんでおられるから助けようとされているのですよ。なんと幸せなことでしょう。このままならぬ世にここまで大事にされるなんて女としてこれ以上のことがありましょうか」と羨望の眼差しをよこすが、本当にそうなのだろうか。
夫と離れ、どこにも行けず、ただ日がな空と山の稜線を眺めて暮らしていた。最初は夜だった、じきに昼間でも声が聞こえてきた、身体の奥から恋しい恋しいと泣く声が。私の身体の夫と繋がっていた唇にも似た蜜壺が乞うているのだ。しかし乞われても泣かれてもどうすることもできず、私はじっと身をちぢこまらせ自らの腕を抱くしかない。そのうち味土野の空を覆う魔王の衣のような雲が私の中に広がっていった。
一瞬だけ私を見た家臣を切り捨て、「俺はこの世の全ての男の目を潰したい。そなたを見ぬように。そして全ての腕を切り落としてしまいたい。そなたに触れぬように」と血走った目で私を睨みつけた夫――私は血まみれで横たわる家臣の生臭い匂いを嗅ぎながら、震えていたのだ、悦びで――こんなにも求められているのだと。けれど、こうして離れてみると、それはただ一瞬の激情の爆発に過ぎなかったのではないかと思うのだ。狂おしいほどの執着、独占欲、嫉妬――そして夜に全身を喰らわんとばかりに私の全てのを賞賛し愛でる夫――それは、果たして妻を想うて故だろうか――己の荒れ狂う獣欲故に過ぎないのでは――それならば、私でなくてもいいのではないか――。
私は恐れているのだ。こうして時間が経ち、離れ、夫の心が変わっていることを。父が母を慈しみ大切にする様と、夫が私を乞うる様は別ものだ。父と母の間に流れる暖かい春の陽気のような穏やかさは夫と私の間にはない。私達の間には獣が喰われる前に喰うてやろうと目を凝らしているかのように研ぎ澄まされた空気があるだけだ。けれどだからこそ――夫の険しく尖った欲望が、私の身体には肌の隙間から血のように全身に行きわたり、こうして会えぬと夫が恋しくて乞うてしまう。いっそ腹の下を刀でえぐって女でなくなってしまおうかと思うほどに、強く。
もうすぐ夫に会える。嬉しいはずなのに怖くて、あのような夢を見るのだ。どうして夫は父が謀反を起こした時に、私を殺してくれなかったのだろう。そうすれば夢も見ずに済むし、本当は夫もそれを望んでいたはずではないのか。私を誰の目にも触れさせないようにするには、自らが妻を殺すしかないことを知っていたはずではないか。
ああ、しかし、今さらせんなきことよ。
せめて願わくば、夫より先に私は死にたい。そしてその時は夫は人目も憚らず泣いて叫んで私を乞うて欲しい。夫を恋しい恋しいと泣き疼くこの身体など、こっぱみじんになってしまえばいい。夫の乞うていた私の姿など、この世に形が残らぬように。そうするしか、夫が永遠に私を忘れぬ術はないのだ。
夜が明ける。東の空の山間から、日が毀(こぼ)れ闇が去ろうとしている。あの光は、どこかで見たような気がする。そうだ、あれは、いつか見た西洋のマリアという名の、父と語り合う時の母の眼差しにも似た美しい像が描かれた絵だ。マリアの背から世を照らそうとこぼれんばかりに放たれた、あの光だ。
〈了〉