猿島(さるしま) - Wikipedia
幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となる。
幕末の1847年(弘化4年)に江戸幕府により国内初の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。
実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。国の史跡に指定されている。
第二次世界大戦後は1961年(昭和36年)までの間は連合国の1国であるアメリカ軍に接収される。その間にも1947年(昭和22年)に渡船の運航が開始、1957年(昭和32年)には海水浴場が開かれる。その後1993年(平成5年)に海水浴場は閉鎖、航路も廃止され立ち入り禁止とされる。
1995年(平成7年)、横須賀市が大蔵省から管理委託を受けて散策路等を整備し、航路も再開、翌1996年(平成8年)には海水浴場も再開された。2003年(平成15年)、横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、「猿島公園」として整備した。